歴史

 

創部
大正10年(1921年)に創部した伝統あるクラブであり、これまでに数々のタイトル奪取と優秀な人材の輩出に貢献してきた。現在、選手・スタッフ総勢200名を超える人数で活動。近年ではJ1、J2リーグといったプロチームからのオファーによってプロとして活躍する選手も出てきている。またJFL、各地域社会人チームなど全国、多方面で関西大学サッカー部のOBが活躍している。

 
 

赤ユニの起源

関西大学体育会サッカー部が1921年に創部し、創部メンバーが今後のサッカー部の在り方について、当時初代サッカー部長水谷揆一先生に相談したところ、「ユニフォームは赤がいい」との提言を頂いた。水谷揆一先生は英国留学の経験があり、当時関西大学で立ち振る舞いも英国紳士風の評判教授であった。当時日本にサッカー情報が少なく、本場英国のサッカー情報をよくご存知であり、「サッカーの本場英国にマンチェスター・ユナイテッドという模範たるべき素晴らしいチームがあります。」との話をされ、創部メンバーが「サッカー母国英国に憧れと羡望を抱き、マンチェスター・ユナイテッドを見習おう」という経緯で赤色ユニフォームが誕生した。

 
 

海外遠征

関西大学サッカー部は単独チームで日本初の海外遠征を行った。1925年創部四年目の秋に20名で中国上海に、1928年に21名で天津・北京に、水谷揆一先生団長のもとで行われました。これは、大学サッカー界における歴史的出来事であり、日本サッカー協会創部70周年誌の提供を求められ謹呈した。
 
 

 

教訓

 
 

関大魂

現在の応援歌の歌詞にも度々出てくる「関大魂」は、水谷揆一先生が、関大サッカー部に「泥臭さ」ともいうべき言葉を常に言い続けられ、「倒れて後、而して止まず(倒れても、倒れても、直且つ止まらず、前に進むべし)」という言葉を繰り返された。この言葉こそ「関大魂」として受け継いできたものである。

 
 

Watch us grow

大正11年に千里山に校舎が移転され、グランドも併設された。何もなかった所にゴールポストが設置された時、感慨無量で胸熱くなり、みんなで関大サッカー部の未来を創造し、躍進と発展を誓い合った。その中で、部員の一人の久保登先輩が「Watch us grow」の文字をゴールポストに刻もうと提案、「われわれの、成長を見守ってくれよ!」との思いを託し練習に励んだ。
 
 
 
 

 

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